旅立ちの壷 |
ノグチミエコさん作の壷です。
ご依頼主のお喜びはこの上もなく、妻も喜びますとおっしゃってくださいました。
お世話をさせて頂いた薇葡萄も至上の思いです。
このところ、死を間近に見ることが多くなり、これまで近づかずに居ようとしていたことを見せつけられています。
死は受け入れる暇もなくやってきます。
予測していても堪え難い速度で襲ってきます。
どのように理解したらよいのか常に迷います。
けれどどうか、「死」に対して必要以上の仕打ちをしないで欲しいのです。
責任のなすり合いをしないで欲しいのです。
死者はもっと荘厳です。侵しがたい存在です。
起きたことと、その責任とは異なる次元で語られるべきものです。
それを誰も忘れてはならないと思います。
生者は主張を忘れてはならないと思います。
蔑ろにされること、忘れ去られること、不当に追いやられることの理不尽を嫌だとはっきり主張しなければなりません。
それが生きる権利であり、生きていくうえの義務であると思います。
自らと他者とのそれも違いはないはずなのに、常にエゴを認識して嫌悪感に悩まされます。
それを表に出さぬようにしている自らを更に非難してみても、虚無感に押しつぶされそうです。
答えは見つかるのでしょうか?